カテゴリー別アーカイブ: 2013

就職差別

 先日の新聞記事に今の就活している学生の感じていることに、就職差別がかなりあるようなことが掲載されていました。ほんの一例ではある企業では学校別の「枠」などが決まっていて、いくら優秀な学生であってもその枠を超えた採用はしないとか、今の自分の学校では面接すら受け付けてくれない等のチャンスの機会さえ与えられない差別が多い事が問題視されていました。確かに受け付けてもらえない学生からすれば、少しのチャンスも与えてもらえないというのは、相手にすらしてもらっていないので不満がたまるのは当然です。かたや企業側からしても、受け付けない学生の中に埋もれているかも知れないその企業に有益な人材の発掘もできていないわけですので、勿体ないと言えばそうかもしれません。
 この事を俯瞰的に見ると、学生側はチャンスさえもらえれば納得できることですし、企業側は埋もれている人材を発掘できる可能性があるわけですから、企業側に責があるように思えます。しかし企業というのは現在はもとより、将来的に継続して活動をしていくことを目的としています。その為に採用に限らず業務についても今までのデータや確率などを参考に動くのがセオリーです。そう考えますと就活している学生側は、その企業の考え方を理解したうえで自らの立場を確立する必要があります。それは極端な言い方をすれば、いくら理不尽な考え方であろうが、自分がその企業に就職したいと考えるならば、それに合わせなければならない事は必須です。
 企業側が望む学生像に親から強制されたのか、自らが進んでなのかは関係なく、幼少の頃から努力してなし得た学生もいます。しかしその努力をした学生ほど頑張っていない、また頑張ってもなれなかった学生も含めて、同じ土俵に乗せろというのは余りにも自分本位な言い分に聞こえるのは私だけでしょうか?・・・。

不払い家賃2

 「消費者保護」これは弱者である一般消費者を悪徳企業から守るための大切な制度です。その結果最近では、次々と法案が可決され、消費者が守られる環境が整いつつあります。クーリングオフ制度は勿論の事、個人情報の保護や借入に対する過払い金の返還などもある意味その一環として法整備が整い施行されています。しかし、今の法整備の現状は法を順守する企業や団体にとって、経済的、活動的にかかわらず、大変な負担を強いられているにもかかわらず、初めから法を守ろうとしない企業や団体には殆ど効果がないという結果をもたらしています。また、消費者保護を後ろ盾にその制度を悪用や乱用する消費者も現れ、もはや「企業の正直者が馬鹿を見る」という状況に陥りつつあります。
 以前のコラムでも書きましたが、いくら法定利息を超えているとはいえ、当人と貸金業者が合意納得し、ましてや完済までしている過剰金利の強制払い戻しや、家賃不払いを続けている借主に対しての請求行為が過剰に制限されているなど、片方に過剰に寄った制度が多すぎます。例えば、家賃不払いに対しての催促行為の制限のほんの一例ですが、貸部屋以外の勤務先などへの督促や、夜8時以降朝7時までの催促、支払いを拒否している借主への督促、行方不明の借主の動産処分や、部屋の封鎖などありとあらゆる行為が制限されています。すると貸主としては法的手段に訴える他手段はありません。その為、それにかかる費用や時間を考えれば、不払い家賃を支払ってもらうどころか、お金を渡してでも出てくれたほうが得策になる等と「悪意の人」が得などというあり得ない状況です。確かに私のように会社や商店を経営している者も、大企業の役員も、一般のお勤めされている方も、一歩外に出れば国民全員が消費者です。それでもこんな行き過ぎの法整備で良いのでしょうか・・・。

99回の失敗

 
 人が失敗したり、落ち込んでいるとき、また否定されがちなその人の行動を肯定するときなどに色んな言葉や言い回しが使われたりします。たとえば昔のハムのCMで、「ワンパクでもいい、逞しく育ってほしい」もその一つで、子供は一生懸命勉強して一流大学に行き大手企業に就職するのが一番良い生き方とされていたその当時、時代の流れに逆行するそのフレーズに世間は「ハッ」と我に返り人間の生き方の本質を垣間見たように感じたりしました。その他に、「99回失敗しても1回成功すればいい」という言葉も最近ではよく言われます。これも失敗ばかりしている人に、何とか頑張って1回でも成功してもらう励ましの言葉です。人は誰でも失敗したら挫けそうになります。しかし一度でも成功した喜びを感じれば、また次から頑張れますのである意味良い励ましの言葉ではあります。しかしその言葉の意味をよく考えてみてください。言葉通り自分の周りに失敗ばかり繰り返している人がいて、「あなたは99回失敗しても、たった1回成功してくれ」と心の底から言える人がどこにいるでしょうか?何度忠告や指導しても99回も繰り返し失敗されたら普通は見放しますし、周りに迷惑が掛かりすぎます。私の経験では、2回失敗したら、3回目には成功させる人でないと、その失敗の原因や対策を講じない、所謂「深く考えない適当な人」が多いように思えます。先述の「ワンパク・・」という言葉もそうです。それはあくまでもその子の人生に責任を持つ親が発せられる言葉であって、赤の他人が発するのは、あまりにも無責任な発言と思います。  
 当たり前にその言葉通りにするということではないのは解りますが、極端に言うほうがインパクトがあるからと、意味も考えず無責任にこんな言葉を発しないようにしていただきたいものです・・・。

 

不動産の税金

 
 私はかれこれ26年間不動産業界で働かせて頂いていますが、以前から??という考え方が不動産にはあります。と言いますのも、不動産というのは日本では個人や企業、公などが所有し活用しています。そしてその所有する不動産を活用したり新たに建築するときに、国や自治体が決めた決まりに従って建築や活用をしなければいけなせん。例えば、空き地を使って自動車工場や喫茶店などを始めたいと思っても、その土地の定められた用途を逸脱して使用、建築することはできません。また、その広さや、外観なども制限を受けることもあり、自分の所有であるにもかかわらず自由にすることはできません。これは、無秩序な建築や用途を許せば環境の良い良好な「まち」を形成することができないので、制限することは必要不可欠です。しかしある側面から見れば「自分の土地に自分のお金で建てる」のですから、自由にしたいという考え方も出てきます。更にそれに追い打ちをかけるのが「不動産取得税や固定資産税」なるもので、所有するだけでかかってくる税金があります。  
 最初にお断りしておきますが、私は共産主義者ではないですが、これを次のように考えなければそのシステムが納得できません。それは根本的に土地や建物というのは「公のもの」と捉え、不動産の代金を「何十年間活用できる権利料」と捉え、固定資産税を「年間の使用料」と捉えることです。この考えはあながち突拍子もない事ではなく、建物はともかくとして、土地に関しては「国又は国民のもの」と捉える国々が世界には多く存在します。アジア各国や南太平洋諸国、ヨーロッパの一部の国では、外国人は土地の所有権を持つことができません。そう考えますと、土地の所有権を海外の企業や個人に自由に持たせている日本という国は、表面的な事しか考えていないんだなと、つくづく感じさせられます・・・。

消費税増税

 いよいよ来年4月から消費税が8%にアップすることが決定されました。ただでさえ景気が良いと言えないこの市況下で、今後の安倍首相の経済政策に大いに期待したいものです。消費税と言えば1989年に導入されたときは初めてのことでしたので、例え3%でもかなりの負担増の印象があったことを思い出しますが、今回の8%というのは10%になる前の経過措置ですので、実質的には今の倍になる計算です。しかし、世界的に見ればEU諸国はおおむね20%以上、EU以外の欧州諸国で20%程度、アジア諸国で10%前後、中南米諸国で15%前後と消費税額だけ見ればまだまだ低いほうです。  
 納税は国民の義務で、国を運営する為には必要不可欠なものです。そのため、国民や企業はしっかりと稼いでちゃんと税金を納めてこそ、交通や福祉、健康や生活面などの行政サービスをしっかりと受けることができることは誰もが知っています。しかし、これは完全に私見ではありますが、国や自治体はその税金の徴収に最も厳しい権力を使い、逆にその使途に関しては最も自分勝手な基準で浪費しているように見えます。我々国民は殆どの方が、税金を払わないと言っているのではなく、必要なところに必要な額を使い、それで不足するなら増税しても仕方がないと思っているはずです。その部分を言葉だけでなく心の底から良く理解し、適切に税金を使ってほしいと政府や自治体の方々には申し上げたい所です。  
 ちなみにこれも完全に私見ですが、「消費税額だけを見れば」と先述しましたが、税金を各国1人当たり、1企業当たりという負担を比べる基準がないので何とも言えませんが、アジアや欧州諸国、中南米、中東などの物凄い貧富の差とそれと全く比較にならない日本の貧富の差を見る限り、結果的に日本の税金全体が高いことは疑いようのないところだと思います・・・。

引越し

 最近引っ越しをしました。というのも私ではなく、私と母が所有し、母だけが住んでいた2世帯住宅から、母が引っ越すのを段取りしたのですが、百合が丘から百合が丘への引っ越しだったのと、引越し業者さんに依頼したので、まあ、そんなに手間でもないかとタカを括っていたのですが、とんでもございません、引越しというのは相当な体力と気力と手間とお金がかかるものというのが身に染みて体感できました。いくら重たいものは運んでくれるとは言え、小物の箱詰めや要不要物の整理、また、新居での必要物の買い物などやることが沢山ありすぎて体中が筋肉痛になりました。
 当初は箱詰めなども依頼しようと思いましたが、全部持っていくならそれもよかったのですが、これを機に不要物の処分を思い切ってやろうと思ったので自分で箱詰めするしかありません。また、2世帯分の家電や家具は一つにするために不要物はリサイクルショップに買取をお願いしたのですが、お金になるのはほんのすずめの涙程度です。  
 そんな引越しをして昔を思い返しますと、私の幼少の頃は東大阪の借家で12坪3Kの長屋に兄弟5人と父母、祖母に叔父叔母の計11人が住んでいました。それが桔梗が丘に引越しする際には、兄弟5人と父母、祖母と叔父の9人で28坪5DKの新築建売一戸建てになり、次は私と妻と父母、祖母の5人で百合が丘の新築建売40坪5LDKに住むことになり、その後私の転勤で私が住むことなく父母のみで注文住宅67坪4LDK+3LDKという二世帯に住むという、家はどんどん広くなっていくに従って、住む人数が減っていくという、何とも人生ってうまくいかないものだと実感のできる住み替えをしてきました。
 そして今回は完全に母一人で47坪3LDK+納戸という空間を独り占めするという贅沢を手に入れはりました。ただ、今回は新築でなく中古住宅ではありますが・・・。

人の噂も75日

 
 人間というものは他の動物には絶対に存在しない思考や行為を行う生き物でありますが、その中でも良いほうではなく、悪いほうの人間の性に「噂話」なるものが存在します。本当に人間というのは仕方がない生き物のようで、「してはいけない、するべきではない」といった行為ほど無性にしたくなるように仕組まれているようで、特に他人の事になると俄然興味が湧き何かと噂話をしています。しかしそれも内容次第で、他人にとって良かった話や美談などはあまり興味をもって話さないのに対し、人の不幸話や失敗話などは瞳孔を広げてまで聞き入るためか、瞬く間に広がっていきます。  
 そんな噂話というのは、意外にもその当人や関係者にはあまり伝わらないような仕組みができているようで、当人たちはそんなことを周りで話されていることなど知る由もない等といったことも多々あります。それが何らかの偶然や忠告などによって当人たちがそれを知った途端、恥ずかしくて外出もできないとか、世間に顔向けできないとか色々と考え込み、果てには精神的に病んだり、最悪は自殺などに追い込まれることも少なくありません。しかしよく考えてみれば人の噂話などというのは、誰もがトコトン悪意を込めて話している訳もなく、ましてや本当に軽い気持ちでしか話していないにも拘らず、当人は最も深く考え込んで落ち込みます。  
  「人の噂も75日」と言われています。無責任な人の噂は二か月もすれば誰も話さないことを考えれば、そんなに深く考え込む必要がないことに気づきます。また、自分が思っているよりも世間は自分の事に興味はありません。それは当たり前で逆の立場で考えたらそれがはっきりとわかります。自分が逆の立場の時にそんなに興味のないことについて噂をしたことを、どれだけ思い起こせるかで救われることも多くありそうです・・。

戦争体験者

 昭和20年8月15日に日本政府はポツダム宣言を受諾し、実質的に終戦を迎えました。戦後70年近くも経過した現在では、戦争は遠い過去の出来事のように思えてしまうのは仕方がない事なのかも知れませんが、私が幼少の頃も戦争というのは遠い過去の出来事だったという印象があります。しかしよく考えてみますと、私は昭和43年生まれですので、私が生まれる僅か23年前までは戦時中だったことを考えますと、どれだけ戦後の日本の発展が目覚ましかった事かと今更ながら思い知らされます。今から23年前と言えば、平成に入ったばかりで、大阪では花博が開催されたり、巷ではダイヤルQ2などという今でいう出会い系の通話などが流行ったころです。確かに自動車やコンピューターの性能など機械物のスペックが飛躍的に上がっているとしても、我々の生活全般では、戦後からの20年間の発展とは足元にも及びもつかない程度の進歩です。  
 それはさておき、戦後70年近くも経過した現在においては、戦争体験者の年齢も70歳を超えています。その為、貴重な戦争体験について語ることができる人々が、日に日に減っていき、語り継がれることが困難な状況となってきています。そんな中、先日見ていたTVで、広島の被爆者から若い世代の人たちにその体験を語り継いでもらい、その若い世代がそのまた下の世代に語り継いでいけるような試みがされている特集していました。引き継ぐ若い世代の人たちは、初めは使命感からか、志願して被爆者からの伝承を受けていたようですが、聞いていくうちに、果たして自分達が体験していないことを、体験したように語り継いでいいものなのか、ということを悩んだりされたようです。  
 何れにしても戦争の是が非を語る前に、体験談を正確に語り継ぐという事は、最も重要な事だと思います・・・。

花火大会

 今年も暑い夏が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか?こんな夏真っ盛りの楽しみといえば、海水浴やキャンプなどアウトドアが多くなりますが、各地で開催される花火大会も一種のアウトドアといえばそうなのかもしれません。先日我が名張市でも市制60周年を迎えた記念の花火大会が過去最大規模で行われました。私は個人的には人ごみが苦手なのですが、最近は年に1回は有名な花火大会に行くようになりました。  
 そんな花火大会に行っていつも思うのは、運営に関わる沢山の方々が多くの時間をかけて準備し、更に花火にかかる多額の費用は勿論の事、運営にかかる費用をもかけながら、運営委員会の方々は殆どが所謂ボランティアで運営されています。それを大多数の運営に関係のない方々が、「無料」で観覧されています。また、そんな観覧者の中には運営されている方々に感謝の気持ちなど微塵にも感じることなく心無い行動をとる方も少なくなく、次の日の早朝から運営者の方々は、ゴミ拾いをすることが恒例となっています。これは地元の活性化という目的があるためで、何のメリットもないなら誰もこんな努力をする事は無いとは言え、どの花火大会でも悩みの種の「運営費」が不足している中で、観覧者に花火は「タダで見れるもの」という認識を改革していかなければ、これからはより良い花火大会が開催できなくなる可能性があります。確かにすべての人から観覧料を徴収することは不可能でも、花火大会に入る道路の入り口に徴収ポイントを設置して、金額は任意にでも入れてもらうような関所を作れば、その徴収したお金は、来年の花火大会で使用でき、今まで以上に良い花火大会が運営できるようになります。そうなれば、今まで以上に来場者が増えるため、またその次の年には、更に良い花火大会が開催されるという良い循環があるかもしれません・・・。

63光年先の惑星

 
 先日ニュースで、63光年先で地球と同じ青い色をした惑星が発見されたと報じられていました。63光年というと、人間の物差しで測るととんでもない距離ですが、宇宙空間では結構「すぐそこ」の距離のようで、そんな近くに地球と同じように、水蒸気や二酸化炭素、更には生物学的に重要な物質であるメタンガスの存在が確認されました。しかしその惑星は、地球のように海が反射して映し出す青色ではなく、実際には非常な高温に加え、時速9600kmの強風とガラスが降り注ぐという環境らしいので、生物の存在はしえないだろうとの見方でした。  
 そもそも人類は、宇宙というものを多数の研究者が何百年もかけて研究や調査をしており、それによって次第に解明されてきています。しかしJAXAによりますと、宇宙に存在する物質の96%は全く解明されておらず、その残り4%の物質しか解明されていません。ということは、ちょっとややこしいですが、96%も解っていないという事は、その殆どが解っていないという事なので、今解っていないというその100%の枠でさえ、果たしてその枠で正しいのか、素人的に考えても疑問です。  
 我々一般人は宇宙で解っていない事でまず思い浮かぶのはブラックホールや地球外生命体の事です。ブラックホールなどは、原理はだんだん解明されてきているようですが、実際にそれを観測したり、証明できているわけでなく、あくまでも「こうではないか」という次元です。地球外生命体は、宇宙人と言われていますが、よくTV番組などでそれは存在するのかしないのか等と、真剣なのか冗談なのかわからない内容で討論されたりしています。普通に考えれば「宇宙人なんて存在しないよ」と我々は考えがちですが、それだけ殆ど解っていないという宇宙空間に、果たして地球外生命体が存在しないと断言できるものなのでしょうか・・・。