カテゴリー別アーカイブ: 2011

ガンサバイバーホノルルマラソンツアー

 前回のコラム取り上げた「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」ついて少し触れさせていただきます。リーダーである杉浦貴之さんは、28歳のときに腎臓がんを発病し余命半年を宣告されながらも、がんを克服し、現在40歳まで再発していません。自身曰く「がんになった原因の習慣(体・心・生活)を正す」ことにより病気を克服できることを、今病気で苦しんでいる人に伝えたいという一心で講演活動を始めました。その活動から、世の中には自分と同じように余命宣告されながらも完治された方が多く存在することを目の当たりに確認して行くことにより、自身が行っている活動が間違いでないことを確信されました。その中で、たまたま自身が経験した「走れるほどに元気になったのではなく、走ったから元気になった」をもっと皆に伝えたいという一心で、かねてからの希望であった「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」の実行に我々は乗り出し、昨年参加された方々の感想を、一冊の冊子にまとめたものを作成しました。
 その中から一部抜粋しますと「走ると元気になる・・・かなり実感!サバイバーとかサポーターとかもう関係なくて、一人じゃなくて、前にも、後ろにも、横にも、日本からも、そして天からも一緒にゴールに向かう仲間がいる。だから楽しい。細胞ひとつひとつが喜んでいて、ホノルル後のすがすがしい笑顔といったら、もう最幸!こんなにもすばらしい仲間に出逢え、一緒に走れたこと、本当に感謝致します。」「ホノルル参加を決め、走り出したら、何も治療をしていないのに、4年間ずっと4桁だった腫瘍マーカーが3桁に下がって正常範囲に近づいた。悪性リンパ腫7回の再発を乗り越え、「余命半年」宣告も軽くクリア!自分のイメージした42.195㎞を笑顔でゴールできた。今の私は何でも笑って乗り越えられる気がする。」

木々の頑張り

 車を走らせていますと、窓に映る風景に紅葉が入るようになってきました。 冬は木枯らしなどが吹くように比較的風が強いので、風景もまた遠くまで見渡せ、より鮮明に景色が楽しめます。そんな冬の季節に、春先に可哀そうなくらいに物凄い切られ方をしました会社の前の銀杏の樹も、以前に書かせていただいたように、他の樹よりもより多くの葉をつけ、その生命の逞しさに感動したものですが、ここに来てまた新たな発見をしました。それは、その銀杏の樹は、枝は相変わらず細くても物凄い多くの葉を所狭しと広げていたのですが、他の銀杏の葉が黄色く染まって落ちて行くこの時期になっても、未だに青々と葉を茂らせています。それは、小さくなった自分自身をカバーするかのようです。しかしその青々とした葉は、どうしても季節には逆らえないのでしょう、その色を保ったまま他の樹と同じように落葉してきています。そんな木々の頑張りがあっても、日に日に季節が深まることにより、やがては全て落葉してしまいます。
 そんな生命の逞しさは、木々のみでなく「人」にも確かに存在しています。私は以前のコラムでも書かせていただきましたが、「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」という活動に参加しています。これは余命半年を宣告されながらも、がんを完全完治させ、その自らの体験をもとに、全国でライブ&講演を行っている杉浦貴之さんをリーダーとするサークルで、今年もがんサバイバーさん約20名を引き連れ、ホノルルマラソンに参加します。私は、そのサークルの事務・裏方を仕切る事務局として一昨年より活動してきましたが、昨年は色々と個人的に思うところもあり、ツアーにだけは参加しませんでした。 
 しかし、今年は決意も新たにマラソンに参加することにし、がんサバイバーさんと共にホノルルの街を「激走」ならぬ「激歩」して参ります・・。

おせち

 つい先日まで冷房をかけていたと思えば、もう我が家では石油ファンヒーターが活躍しています。考えてみれば早いもので、このコラムが掲載される頃は年明けまで既に2か月を切っています。
 年末といえば、何となく気分的にクリスマスまでは何かしらウキウキした楽しい気分なのですが、それを過ぎた途端に一気に年末モードに入り、いきなり慌ただしい気分になってきます。そして正月に向けての準備に入るのですが、よく思い出してみますと私が子供のころは、母がクリスマスの時期を過ぎた途端におせち料理の準備に入り、私たち5人の子供たちも母の号令の下、木のようになっている棒だらをのこぎりで切ったり、あつあつの餅をこねたりと、よく手伝いをさせられていました。最近はといえば、世の中は変わりまして、一部を作りはしますが、おせちの全てを作る家庭がかなり減ったように思えます。その事を「贅沢になった」といえばある意味そうかもしれませんが、おせちを作るとなると、材料代もばかにならない金額になりますし、何よりも作る手間がかなりかかりますので、その作る手間を金銭に換算したとすれば、かえって今の時代、安上がりになるかも知れず、全てを作るほうが贅沢なのかもしれません。
 当たり前のことですが、そんな効率や、お金のことだけを考えて、全てに効率的に行動すれば良いかと言えば決してそうでありません。ただ、それを「だから今の若い奴はダメなんだ」というような事を頭ごなしに言うのは、私個人の意見としては決して良いことだとは思えません。時代とともに考え方や、生活様式が変わるのは仕方のないことですし、逆にずっと同じであることが決して正解ではないと思うのです。
 しかし、変わってはならないかけがえのないものについては、何としても守る必要があると思います・・・。

歯医者さん

 先日、歯のかぶせものが取れたので、久しぶりに歯医者さんへ行きました。その歯医者さんは、とても込んでいまして、予約を取るのに結構先の日程を指定されることを見ますと、腕のいい歯医者さんだろうと容易に想像がつきました。その歯医者さんは結構新しいのでしょう、待合や診察室も綺麗で、また受付や助手の方も若くて綺麗な方ばかりです。設備も新しいのは勿論ですが、治療台にTVモニターなども設置されていて、環境映像などが映し出され、少しでも治療の苦痛を和らげる工夫などもされています。そして治療がはじまり、治療台が寝かされた時私は、以前に治療して頂いた別の歯医者さんで感じたことを急に思い出しました。
 その歯医者さんも比較的新しく掃除もきちんと行き届いていたのですが、いざ治療を始めるために治療台が寝かされたときです。自然と私の目線は天井に向ったのですが、その天井には液体が飛んだのか何かが付着していたり、隅にはくもの巣があったり、また何よりも天井全体が薄汚れていました。先ほども書きましたように、決してこの診察室が汚いのではなく、むしろ掃除は行き届いていました。しかし、歯医者さんであるがゆえに、普通には目線が行く事の無い天井に患者は否が応でも目線が行きます。ここの職員さんは確かにまじめに掃除をされています。してはいますが、患者さんのそれこそ目線に立って掃除をしていないことに気づいたとき、何でもそうですが、人の目線に立つという物事の奥深さを妙に感じました。
 ちなみに先ほどの歯医者さんの天井は綺麗でしたが、敢えて提案するとしたら、治療前にリラックスさせる事も重要ですが、更に踏み込んで患者が一番苦痛を味わう治療中に、苦痛を和らげるような仕掛けなどを天井にも工夫してみたら、などと思ったりしました・・・。

ダイエット

 以前に、私の座右の銘は「有言実行」ということを書かせて頂いた事があると思いますが、それは当然今も変わっていません。そのため意志の弱い私は、何かを始めるときには必ず自分の周りの人に「***をする」と宣言することによって自ら退路を断ち、引くに引けない状況を作って実現に近づけていきます。そんな風に自らを追い込み、実現させる”クセ“をつけていきますと、不思議にそうすることが当たり前のように思えてきたりしますので、やっぱり何事も自らの「気持ち」の問題なんだなと再確認できます。
 そんな有言実行を繰り返してきました私ですが、最近何度チャレンジしても有言実行できない”ある事“に気づきました。それは「ダイエット」です。先述のように私は、仕事は勿論の事、禁煙や日常のちょっとしたことなど、「言ったからにはやる」という姿勢を保ってきたつもりなのですが、ダイエットだけは目標に届かなかったり、目標数値までもっていけたとしても、その後の怠慢によって、結局リバウンドしてきました。そこで何故ダイエットは有言実行できないのか真剣に理由を考えて見ましたら、ある一つの考えに到達しました。
 仕事や禁煙などの目標設定は、その一つの目標をクリアした時点で、それまでに頑張った行為がひとまず終了する事が多いのに対し、ダイエットに終わりは無く、それこそ死ぬまで継続する必要があること、また人間の三大欲求である食欲・性欲・睡眠欲の内の一つである食欲をある程度制限しながら、適度な運動を継続して行う必要があるからではないかということです。そう考えますと、私の「有言実行」は、終わりが見えなければ実現できない意志の弱さを露呈している事になり、今まで少しくらいは意思が強いかな?と思っていたわずかな自信は、ここで見事に打ち砕かれました・・・。

地球を助けることとは

 前に見た映画のことですが、途中から見たので、内容やタイトルを詳細に把握してはいませんが、その中で妙に印象深かったセリフがあります。それは、味方っぽい異星人らしき男性が主人公の女性と話している場面なのですが、どうやら地球を滅ぼそうとする何かが地球に迫ってきていて、それが来れば間違いなく地球が滅びるというような場面です。そこで主人公の女性は「あなたは地球を救いに来たと言ったじゃないの。なぜ私たちを助けてくれないの?」というようなことを強く異星人に迫りました。すると異星人は「確かに私は“地球を救う”と言った。だが、人類を救うとは言ってはいない。」と確かこんなやり取りでした。
 これを聞いて私は「おおっ!そういうことか!」と目からウロコの思いでした。確かに地球人である主人公の女性の立場からですと、「地球を助ける」というのは、人類を助けるという風に普通は思います。しかし、地球外(異星人)から見ると、これだけ資源豊かで自然環境の優れた地球を、人類が生息活動を行うことにより、大気汚染や海洋汚染をはじめ、温暖化やオゾン層の破壊、また生態系の崩壊など、数え上げたらキリがないくらいに痛めつけています。それにも増して、核兵器や原子力発電の事故による環境破壊や、戦争による人類同士の殺戮など、おおよそ人類が活動すればするほど地球を滅ぼそうとしているとしか思えない行動をとっています。
 最近になってようやく「エコ」や「地球環境」などというフレーズがよく耳にするようになりましたが、実際問題私を含め、どれだけの人が「心の底から地球の事を真剣に考え行動している」かと言えば、?です。そう考えますと、先述の宇宙人のように「地球を助ける」というのは、人類を滅ぼしてこそ成り得る事だということに、妙に納得してしまうのでした・・・。

テーマパーク

 先日のコラムで、会社の前の銀杏の木の事を書かせて頂きましたが、普通に人は、花などが咲き誇っているのを見ると、「まあ、綺麗!」などと感動されますが、実は私、本当のことを申し上げまして、庭先にある綺麗な花を咲かせている花壇を見ましても、長島温泉にある色取り取りのベゴニアが咲き誇る温室に行っても、全くと言っていいほど「綺麗!」と思える感性が備わっていません。また、私は人混みがかなり嫌いな方の為か、アトラクションやテーマパークもあまり好きでないので、できるだけ人ごみの方角には足を向けないようにしています。その為、そんな花を見て感動されている人や、テーマパークなどで頭に飾り物をつけたり、お揃いの衣装を着たりして、心から楽しんでいる人などを俯瞰から第三者的に眺めると、私にはこういったものを心から楽しめる感性が備わっていないことに、人生とても損しているよな、と自身に勿体なさを感じると同時に自分にも備わって欲しいなと思ったりします。
 特に私にとってテーマパークなどは、①休みという時間を取り ②沢山のお金をかけて③仕事以上の体力と忍耐力を駆使して ④心と体の疲労をおみやげにするようなものです。ですから、たかが数分のアトラクションを2、3箇所するだけのために、たかが、動くぬいぐるみと一緒に撮影するがために、1箇所数時間待ちをするという“おしん“のような忍耐力を私は持ち合わせていません。 
 そんな事なら私は行かなければいいのですが、それは世の中うまく出来ているとでも言いましょうか、こんな私でもテーマパークで喜びを感じることができるのです。それは楽しめる人を連れて行ってあげて、楽しんでいる姿を見ることが何よりの喜びで、自分が行かない事により、楽しめるはずの人が楽しめない状況をつくるのが何より嫌だ、という感性を持っているからです・・・。

自分の尺度

 先日のニュースで、東日本大震災の被災地域の高速道路で中型以上のバスやトラックの通行料が無料になる制度を悪用するケースが多いので、無料制度を終了するということが報道されていました。また、スーパーや公共施設のなどの駐車場には、一番施設に入りやすいところに車椅子マークの駐車場が設置されていますが、対象者以外が駐車したり、最近ではもっとタチが悪く、対象者が乗車していないにも関わらず、車椅子マークを貼っているというだけで、堂々と駐車する人がいるせいで、車止めをしている駐車場があります。また、名簿を利用して、だれかれ構わず電話や宅訪、郵送などを繰り返し、一般消費者が迷惑しているがために個人情報保護法が制定されました。この法は、法令を遵守してまともに活動している団体や企業にとっては、大変な労力や経費、責任がかかりますが、初めから遵守する気のない怪しい団体や企業には全く何も効果がありません。
 これらに限らず、法を犯すまでではありませんが本当にごく一部の心無い人の心無い行動で、一生懸命に、真面目に活動している人たちや身体的弱者に迷惑がかかる事例が後を絶ちません。なぜ一部の人は、こうも身勝手な行動を取るのでしょうか?確かに、それぞれに言い訳や、事情があったとしても子供であるまいし、やって良いことと悪いことくらいの区別はつく筈です。とすれば、大の大人がそんな事をする理由を明示するならこうでしょうか。最初から悪いことを承知でしている場合は除いて、殆どの場合、人それぞれの物事を図る「尺度」が違うからではないでしょうか?島田紳助さんの会見ではないですが、自分の尺度では「セーフ」でも違う人には「アウト」ということもあります。
 そう考えますと、私も自分が気づかないところで、人から「アウト」と思われる行動をしている可能性があるということです・・・。

海上釣堀

 先日釣り好きな社員に連れられ海上釣り堀とやらに初めて出かけました。私は釣りの初心者どころか、魚を触ることさえもまともにできないので、準備は全てお任せでやっていただきました。釣り始めてものの1分も経たないうちに、魚が掛かりましたが釣り上げる直前に糸が外れ、海中深く帰っていきました。そんなこともあり釣り堀なんて素人でも釣れるな、と自信気にその後も糸を垂らしましたが、それからはいっこうに釣れません。一緒に行っていた皆さんは、1mはあろうかという青物や大きな鯛などを次々に釣り上げます。それを真似て仕掛けの長さを変えたり、釣れたポイントを譲ってもらったりしたのですが、私だけが釣れません。何が違うのか観察していますと、よく釣る方は竿や餌や場所を変えたりと絶えず動いています。それを真似てやってみるのですが、そこはキャリアの違いですね、ほんの少しの違いで差がつきます。
 そんな悪戦苦闘しながら、最初はたかだか10m四方の網の中での戦いと、タカをくくっていた私は、頭の良い魚に完敗しました。しかしその時気づいたのですが、たかだか10m四方と考えること自体で私は負けていました。人間と違い魚には平面的な面積に加え、高さという立体的な体積が行動範囲なので、ほんの30cmも違えば全く違う空間になります。そう考えますと、人間というのは結構狭い範囲でしか行動していないことが分かります。陸地の範囲内で、しかも平面的にしか行動していません。それに比べ、魚にせよ鳥の行動できる範囲は、面積に加え、高さが加わった何万倍もの物凄く広い行動範囲です。
 もし、人間が空間まで自由に行動できる生物だったとしたら、今の生活が、今の家や家電が、今の服が、どう変化していたのか全く想像すらできません・・・。

中国高速鉄道事故

 中国におけるあまりにも急速な経済発展と生活環境の向上は、高度成長期の日本を彷彿させると一部では言われていますが、私にはそうは思えません。今の中国の発展と日本の高度成長期との最大の相違点は、経済を「誰が」発展させているか、です。敗戦後の日本は、殆どの国民が貧困に苦しみ、その苦しみから抜け出すために、全国民が同じ方向を向いて一生懸命に汗を流した結果として、所謂「一億総中流」となったのに対し、今の中国は、ごく一部の大金持ちが、金融や不動産投資、事業投資をすることによって経済発展をもたらしています。日本でもある程度そうであったと思いますが、今の中国ではそんな歪んだ経済発展の影でもっと酷い様々な歪みが生じています。その歪によって、7月半ばには大惨事となった高速鉄道の事故が起きました。中国政府は今までアジアや東南アジアにおける領土問題をはじめ、SARSなどの感染症問題など、事故の処理や国際紛争など、我々には到底考えられない対応で、自国民や他国に対応してきました。この高速鉄道事故も事故原因の究明を全く行わぬまま、発生の次の日には運行を再開した挙句、事故車両を埋めるというウルトラCまでも行いました。
 しかし、今まではそういった自国政府中心的な対応で何の問題もなかったものが、幸か不幸かこの事故以来、中国国民を大きく動かした事は事実で、それまで批判的な報道を“行えなかった”メディアが、正々堂々と批判し、検疫で意見を”完全削除“されていたネットも検疫しきれなくなったのか、国民の批判が堂々と投稿されるようになってきました。
 これからは国際社会において”経済的には既に先進国“である中国も対応や言動からも先進国の仲間入りを果たすことができることを願います・・・。