カテゴリー別アーカイブ: 2009

りんごが教えてくれたこと 木村秋則さん

 先日電車で大阪に向う途中に読んでいた日経新聞の記事で、ものすごく興味を引かれたものがありました。
 それは「りんごが教えてくれたこと」の著者、木村秋則さんの記事でした。私は農業のことは無知ですので、当然ながら詳しくはわからないのですが、りんごという果実は他の果実を比べても非常に栽培が難しく、無農薬無肥料栽培は常識的に不可能とされていた果実らしいのですが、それを試行錯誤の末に可能にしたということでした。私は、早速携帯電話を使い、ネット通販で注文しました。届いてすぐに読んだのですが、木村さんの成功までの苦労話は想像の域を超えませんでしたが、果実や作物の話は私の想像を超えるものでした。
 例えば、私の知識では、農薬を減らしたり無くしたりした作物は虫が食って見栄えが悪い、という認識でしたが、無農薬無肥料を徹底して行い、自然環境や生態系を再現した農地で栽培する農作物は、そんなに害虫に食われるどころか、その害虫を食べる益虫も繁殖する為、逆に被害が少なくなったり、また有機栽培は体に良い、という認識でしたが、これもしっかりと熟成させた堆肥を使用しないと、幼児などには致死量をはるかに超える程の窒素含有量の多い作物ができたりするらしいのです。
 考えてみれば当然のことで、もともと果実や作物は、人間が食する為に成っていたわけでもなく、生態系が成り立っていた自然環境の中で、自らの子孫繁栄?のために果実などを成らせていたものを、勝手に人間が自分達が食べる為に都合のいいように育てていたという事を考えますと、本当は自然に成らすのが正当といえます。
 それは人間の都合によって果実や作物から害虫を避けようとし、収穫量を増やそうと品種改良を重ねた結果として、現在のような栽培方法でしか収穫できないように仕向けてしまったのでしょう・・・。

幸せライン

 最近いろいろな方とお話させて頂いている中で、ふと気づいたことがありました。それは「幸福」とはどういう時に感じるか?という事です。人はそれぞれ、社会的地位や家庭環境、職場環境や経済状況など、自らが置かれている立場によって、またそれぞれの人の感性によって幸福感を得られるところが違います。それは、人によって「幸せ」と思えるラインが違うためで、もしそのラインを世間の人全員が同じ所に置けば、ある一つの事柄は、日本人全員共通の幸せであったり、不幸であったりすることになります。極端な話をすると、例えば1ヶ月に一度一人2500円以上の外食をすれば幸せ、という定義が出来上がればそれ以下では不幸となりますので、うちでは2ヶ月に一度しか外食していないので不幸だ!という事になります。
 しかし、当たり前にそんなことを共通に決めたところで、自分が幸せと感じられなければ、まったく意味のないものになってしまいます。そう考えますと、全く同じ事でも、私はこれだけの事しかしてもらっていない、と感じるか、これだけの事をしてもらえている、と感じるかは、自分が幸せを感じるラインをどこにもってきているか、で決まるということになります。ということは「幸せライン」を下げている人は、多くの幸せを感じる事ができ、「幸せライン」を上げてしまった人は、幸せを感じられるものが少なくなるということです。
 よく言われる「金持ちは必ずしも幸福でない」という事はこういう事なのでしょうか?金持ちは当然どこへ行ってもチヤホヤされますし、外食もできますし、高価な買物や旅行も行けたりします。そうなると自らの「幸せライン」が上がってしまうのは、ごく自然の流れですが、それを下げる事のできる人にならねば、と思いました。
 でもその前に、金持ちになれるんか、ですよね・・・。

シークレット

 ある友人からある1枚のDVDを頂きました。タイトルは何と「シークレット 偉大なる秘密」となっており、何の秘密??等と思いながらも、ある意味ドキドキしながら時間の空いたときに見させて頂きました。始まるなり青い眼の舶来のいろんな方々が、それぞれの人生体験について語り始める自己啓発的なものでありました。

一.人は誰もが自分が思い描いた通りに何事も実現できるのだが、できないのは強く思わず 実行しないから
二.過去や現在の成功者は皆そのことを知っていて、それを実行しているから成功者となれている
三.病と思考は一体の物で、気持ちの持ちようで病になるし、直りもするなどです。

 その他にも色々と2時間ほどいろんな方々がお話されており、ここでは、「宇宙の力を引き寄せる」的な言葉が頻繁に出てきてはいますが、その話の本筋となる部分が、私が常日頃から思っている事や、実感として感じた事と同じでしたので、すんなりと受け入れる事ができました。
 このDVDではないですが、私は以前から実感として、本当に強く念じた事は実現すると思っています。それを私なりに分析すれば、本当に強く念じれば、自然とその実現に向けての行動を自らが行っている為に、自然と達成できると思っているからです。それは病も同じで、妻が癌になり命を落とすことになって確信しました。自分の免疫力を高めていくことで癌を治せる可能性があるのに対し、免疫力を弱める抗がん剤治療を続けた人に完治した人はいないのではないのかと。確かに抗がん剤治療しなければ進行が早くなり、結果亡くなる方が多いと思いますが、それはあくまで延命したに過ぎず、完治を求めるならば、延命率は低くなりますが抗がん剤治療を止めて免疫力を高める事しかないのではないかと・・・。

妻との別れ

 彼女は余命半年と宣言されながらも懸命に病魔と闘い3年間生きぬきました。
 彼女は最小限の周囲の人にだけ病気を伝え、努めて周りに元気を振りまいていました。
 彼女は3年間で2回だけ、死というものの恐怖からくる不安や弱気な自分を見せました。
 彼女は今まで彼女の人生におけるその軌跡を、その人生が終結する時期に見事に証明して
 見せました。

 1963年2月14日、彼女は誕生しました。
 2006年6月、43歳の時、病院の検査で癌が発見された時点で、既に肺から脳、腰椎へと転移している手術が出来ないステージⅣ、末期がんで主治医からは余命半年、もっても1年は絶対持たないという告知を受けました。しかし、彼女は自分が癌であることを周囲に知られる事で、頑張れなくなるという理由から、親にでさえ数ヶ月後に告知したぐらいでした。そんな頑張りは、普通であれば迫り来る死への恐怖から、泣いたり叫んだりするはずですが、この3年間でたった2回だけ弱気な自分を見せたに過ぎませんでした。1度目は告知された時、2度目は告知から1年を過ぎた頃でした。
 亡くなる2ヶ月ほど前からは、ほぼ24時間の看護を必要としてきました。看病といえばほぼ身内が行い、本人が亡くなる頃には、心身ともに疲れ果てるようなことが多いものですが、今まで彼女がお付き合いしてきた彼女の友人、親戚などが彼女を一人にさせる時間がないようにと、昼夜を問わず交代で看病をしてくれました。そんな彼女や周囲の頑張りでも、2009年5月26日午前6時54分、とうとう終結を迎え46歳にて永遠の眠りにつきました。
 彼女はもとより、彼女を心底思ってお世話頂いた周囲の人々に、本当に心から感謝申し上げます・・・。

ひめゆりの塔

 2年半ぶりに社内旅行に行ってきました。いつも年末に予定していましたが、年の瀬で業務のせわしない時期と、年が越せるかどうかという経済的な理由でなかなか予定を立てることができず、ようやくGW明けに沖縄に行かせていただきました。実は社員の中に極度の飛行機恐怖症のお方がおりますために、会社では初めて飛行機に乗って旅行に行ったわけですが、何と7年もの月日と説得という労力を費やし、ようやく実現しました。
 沖縄の海はエメラルドグリーンで、また草木なども内地のものとは違うものが生息していたりと、日本にいるというよりも、海外のリゾート地へ来たような雰囲気で、みんなリフレッシュさせて頂きました。また、那覇から離れると物価が低く、直径30センチはあろうかというチーズバーガーが300円で売られていたり、タコライスや、タコスがこれでもか!というくらいの大盛りが500円で売られていたりと、驚きの連続でした。
 そんなリゾート気分や楽しさがいっぱいの沖縄ですが、その楽しさの裏には、過去の犠牲の上に成り立っている事実を忘れてはならない事を、同時に教えられました。見学した旧海軍指令部壕やひめゆりの塔では、戦中や終戦時の戦争の悲惨さや酷さを赤裸々に展示してあり、当時の人々の無念さや苦しさが伝わってきます。
 「解散命令を受けて壕を脱出した生徒達は入る壕も無く、昼間はソテツやアダンの茂みに身を潜めながら、攻撃が弱まる夜間になると海岸へと向いました。傷ついた体を引きずりながら逃げる者、負傷した学友を助けて歩いていく者、砲弾に吹き飛ばされていく者、海岸で大波にのまれる者など行き場を失い、父母の名を叫びながら死んでいく生徒が続出しました。生徒達は米軍に捕まることを最も恐れ、手榴弾で自決しました。」幸せとは何事もないことであると、改めて実感させられました・・・。

全国学力テスト

 先日、全国学力テストが行われました。私は学生時代、授業以外は全くと言っていいほど勉強はしなかった為に、その学力テストの問題は小学生の国語の漢字の読み取りなどはさすがに解答できましたが、算数になると少し考えなければ解答できず、またこれが中学生の数学になると、もう???の状態で、解答するのにかなりの時間を要しました。まあ、しかし中学生以降に勉強した問題が解けないからといって、問題がないといえばそうですが、これが小学校時代の問題が解けないとなると、社会生活に影響が出てきますので、私はギリギリところで留まっているという事になります。
 その学力テストをやっている中で、私が小学生の時にこんな勉強したかなという、ちょっと気になった問題がありました。それは「はがきの書き方」です。この問題は、はがきのおもて面のどの場所に何を記載するかという問題でした。これを見て私は、これが国語の勉強か?と一瞬思いましたが、よく考えればそのジャンルがどうあれ、こういう一般常識的な勉強というのを、勉強した記憶があまりないことに気づきました。
 確かにある一定の高度な教育を行っておけば、その後に研究や開発に携わるようになる人にとっては、下地ができているので非常に有意義な勉強になりますが、それ以外の大多数の人は、そんな事とは関係のない社会生活を営みますので、頭の柔らかいうちに頭を使うというメリット以外はほぼ無駄な労力を使っていたと言う事になります。そう考えますと、はがきの書き方のように、もっと社会に出てから役に立つ切符の買い方をはじめ、冠婚葬祭の常識、社会の仕組みや礼儀作法、会社での電話の出かたなど、家庭科の授業以外に一般常識という授業科目を設定して勉強させてくれていたほうが、社会人になってからよっぽど助かったのにと思いました・・・。

楽天

 かなり以前の話になりますが、YAHOOのオークションにハマッているということを書かせていただきましたが、それも一時的なもので、今ではある程度賢い利用をしてきていると自分では思っています。例えば欲しい本やCDを探すのに、ネットでは非常に簡単に検索して購入する事ができますし、お米やペットボトルなど重量のあるものは、女性やお年寄りが買って帰るには無理がありますが、ネットですと、しっかりと見比べればスーパーで買うよりも安く、しかも翌日に送料無料で自宅まで配送してもらえたり、買った金額に応じてポイントがつくなど、有効に利用すればその価値は非常に大きくなります。また、YAHOOや楽天など買物をするサイトをある程度特定しておけば、そこで貯めたポイントはそのサイト内のショップであればどこでも使えるなど、実際の店舗でポイントを貯めるよりも利用用途が大きくなるなどの利点があります。
 例えば、楽天トラベルのサイトで家族旅行のための宿を予約したとします。その金額が例えば3万円だとしますと、その1%にあたる300ポイントが貯まります。中にはポイント10倍などのキャンペーンなどやっている場合もありますので、その場合ですと3000ポイント貯まる事になります。そうしますと1ポイント1円換算ですから、3000円分のお金が貯まった事になりますので、それを別のショップでお米などを購入するのに使える訳ですから、大きな金額を支出する時には、非常に有効と言えます。ただし、宿によっては直接申込んだ方が安い宿と、サイトを使った方が安くなる宿とありますので、それは良く調べてから利用しなければいけません。
 そんな賢い利用をしていると思って、ポイントを必死に貯めている私は、よく考えればやっぱりサイト側の思う壺にハマっている一人なのでしょうね・・・。

絶食

 つい先日、忙しかったことと面倒だったことで、丸1日食事を抜きました。自宅に帰ってどれだけ体重が減ったのか物凄く興味が湧いたので、体重計に乗ってみました。するとなんと驚きの、3.5kgも減っているではありませんか。丸1日抜くだけで3.5kgも減るということは、私は毎日3.5kgもの食事を摂取していると言う事になりますが、40歳も超えて学生時代のようにドカ食いをしているわけではありませんので、その理由は全くわかりません。1日食事を抜くだけで3.5kgも減るのなら10日抜けば35kg、20日で70kg減量できる計算になりますので、私は25日もすればこの世から消滅すると言う事になります。といった冗談はさておき、1日でそれだけ減ると体に悪いと思いつつも、もっとしてみたくなり、次の日も1日でほんとに軽く2食程度の食事で済ませました。するとどうでしょう、前の日は絶食で3.5kg減が、その日は軽~く2食しか摂取していないのに、前日より1.5kg増でした。なんでやねん!と思いつつその次の日は、軽く1食に抑えたにもかかわらず0.5kg増でした。そうなりますと、もうええわとなりまして、次の日は普段よりは少し少なめではありましたが2食の摂取したところ、なんと1kg減という結果でした。こうも思い通りにいかないと、子供みたいな無茶な事は止めようと普通に思ったのですが、その日の朝出勤前にいつもの服を着ましたら、な、なんとベルトが1つ内側に入るではないですか!そんな事実が出てきますと、またどこまでベルトが内側に入れれるようになるか挑戦したくなってきまして、どうしようか悩んでしまっています。
 こんなつまらない事しかやることがないのかと言われるのはわかってはいるのですが、体脂肪率30%を優に超えている中年男性のささやかやな頑張りです・・・。

携帯電話の普及

 日本国民の88.9%が携帯電話を所有しているそうです。一概に88.9%といいますと、逆に11.1%の人が持っていないということになりますが、現実的に考えてその割合は、例えば6歳以下の幼児の人口である6%を省いて考えますと、残りの人口のなんと94.5%の人が携帯電話を持っているということになります。この所有率というのは、恐らく全電気製品の中でもダントツに1位の割合でしょうから、如何に携帯電話の普及率がものすごいことかと思い知らされます。それだけすごい普及率の事と知ってしまうと、私のいつもの悪い癖でしょうか、ふと疑問がわいてきました。
 これだけ短期間に日本国民に普及した理由を普通に考えれば、こんなに便利なものが、すごく気軽に手に入るためであろうと想像できますが、本当にそれだけの理由なのでしょうか。ほんの一例ですがGPS機能や買い物決済機能などが便利だという理由だけで付加されたのだろうかということです。GPS機能というものを普通に考えれば、子供や旦那?の所在地の確認ができるという女性には非常に安心できる機能でありますが、これの別の使い方を考えますと、例えば、事故や災害などで危険な地域が突発的に発生した際に、その地域に向かって移動している人に対し、何らかの警告を発し、その地域に向かわないようにするなどもできることになります。しかしこれは、特定の人の行動を自由に誘導できるということですから、使いようによっては、危険ですし、買い物決済機能を使用した場合などは、ほぼ本人が使用しているということが確定しますし、いつ、どこで、誰が、どのような買い物をしたという記録を残すこともできるということです。
 まあ、こんな策略的な国家ではないとは思うのですが、別にそれでもいいかなぁとも思う自分がいます・・・。

裁判初体験

 先日、業務上の問題で裁判を経験しました。裁判と言いましても原告か被告かで立場が全く逆になりますが、幸いにも?私は原告側としての訴訟でした。
 原因は支払いをいくら督促しても払って頂けなく、またその支払わない理由があまりにも自分身勝手な理由でしたので、自ら調べて法的な督促を行っていましたが、埒が明かないので以前に弁護士事務所に所属していた司法書士の先生に相談したところ、結構簡単にこういう事案は訴訟すべきだという事になりまして、訴訟初体験となったのでした。こういった訴訟は、代理人(弁護士)を立てて闘争する事が通例ではありますが、こういうことはなかなか体験できまいと、私は代理人を立てず、自らが法廷に立つ事を選択しました。
 第1回目の法廷では、私が原告席、相手方の弁護士が被告席、書記官1名と当方の関係者の傍聴人が裁判官の登場を待つという静まり返った緊迫した空気の中、さっそうと裁判官が登場し、全員起立、礼を行って裁判が始まりました。まずはじめに裁判官より、双方が提出した書類の確認が双方に数十秒程度あり、その後次回のスケジュールの確認を行って、すぐに裁判官は出廷していきました。その時は、裁判官がスケジュールの確認に行ってるのかな???いや何????これで終わり???きつねにつままれたような感覚で、わずか数分で法廷デビューは終了しました。その後の法廷も同じような事が1ヶ月に1回程度の頻度で繰り返され、ようやく先日、当方の訴えが全面的に認められた判決が下された。が、ここが当社らしいところで、その相手方はその時点で既に倒産していたようで、そんな事も調査しなかった為に損害分に加え裁判の経費分が更に上乗せになりました。
 まあ、これも私の経験値が上がった分の代償と考えて納得するしかないのでしょうね・・・。