カテゴリー別アーカイブ: 2014

真夏日と猛暑日

 夏も盛りになり、とても蒸し暑い日が続いています。蒸し暑いだけでなく最近の気候は、なんかおかしなことになっている事が多く、今年の初夏には日本の中で北海道が一番暑いことが数日ありました。そう思うと、最近では近畿や首都圏よりも沖縄のほうが気温が低いときもあり、「沖縄に避暑に行く」などと冗談にならない現実があったりします。そんな現象というのは温暖化にも関連しているのか調べてみましたが、そこはちょっとわかりませんでした。それとは別に気になっていることがありまして、それは私が学生の頃は、気温が30℃を超える真夏日はそんなに多くなかったような気がしましたので調べてみますと、当時から平均気温は1~2℃程上がっていました。しかし体感では平均気温が1~2℃あがった程度には到底思えないので、1980年代の10年間と2013年までの10年間の30℃を超える真夏日の日数を比べてみましたら1980年代は422日で現在は566日と約1.3倍になっていました。更に35℃を超える猛暑日も調べてみましたら、1980年代は11日なのに対し、現在はなんと56日と約5.1倍もの猛暑日がありました。この数値をみれば明らかですが、30年前の平均気温は1~2℃低かったと聞けばそのくらいの違いしかなかったのかなと疑問に思いますが、猛暑日の日数が5倍以上になっているという事を踏まえると、ものすごく暑い日が5倍になったわけですから、平均気温どころの体感の違いではない事が明らかです。
 これを調べてやっぱり自分の感覚は間違っていなかったんだと変に自慢しそうになりましたが、良く考えてみますと温度の変化もそんなに大したことでないように思っていましたが、猛暑日の日数の違いを比べてしまうと、これからホンマにどんだけ暑くなっていくのだろうかと心配になってきました・・・。

黙っていられる関係

 よくカップルや夫婦がお店などで何も話さず黙々と食事をしている場面や電車の車内で寝るでもなくただ黙って双方がじっと前を見つめている光景などを見かけると、何かしら冷めた関係に見えたりします。男性よりも女性のほうが比較的お話好きの方が多いように思えますので、その女性も何も話さないというのはどうしてもそう見えてしまいがちです。そんなことを考えていたある日私はふとしたことに気づきました。それは、車の車内や電車の座席、待合室や応接室などある程度の時間その場にいなければならない状況の中で、あまり気心の知れていない知人や、取引先の方、逆にあまりにも近いがそんなに話をしない親や兄弟などと一緒にいるときに、何を話していいかわからない中で話題が尽き、無言の時間だけが流れて結構気まずい雰囲気になったことなどです。気心の知れない知人や取引先の方はまだわかりますが、これは私だけかもしれませんが親や兄弟と一緒の時も結構気持ち悪い空間になったりします。なのに夫婦というのは、例えば遠出する車の中で2時間くらい黙ったままの状態でも、家でソファに座って黙ってTVを何時間も見ているとき、その状況に何も感じず何も思わない事に「気付きもしていない事につい先日気付き」ました。これは瞬間的にある時私が見ていた他人の夫婦やカップルの状況と同じです。しかし、常に黙ってばかりなのかと言いますとそうではなく、話をするときにはちゃんと話をしていますので、黙って一緒にいていられる関係というのは、常に話をしていなければならない関係などよりも、遥かに信頼関係が構築されていると言えるのではないでしょうか。
 そんなもっともらしいことを言っていますが、決して夫婦間で話をしなくても良い様に思っている訳ではありませんので・・・。

誰にも盗まれない財産

 5月初旬に放映された池上彰さんがキャスターを務める「世界を変えるTV」という番組がありました。友人のいじめを無くすために取ったピンクシャツを着るという行動が全米でいじめ撲滅のキャンペーンのシンボルになったり、6歳の子供が難病の友人を救うために作った絵本が世間を巻き込み、募金の目標額100万ドルまであと少しというところまで到達した出来事など、最初は子供がとったほんの小さな行動や思いつきが、やがて世間の関心を集め、一人では決して成し得なかった結果をもたらすという、世間もまだまだ捨てたもんじゃないなと思わせる内容の番組でした。その中の一つにフィリピンのスラムで育ったエフレンという青年が行っている活動の紹介がありました。彼は自らがスラムから抜け出すためには教育を受け、しっかりとした働き口を確保することが重要と考え、貧しいながらも学校へ通わせてもらっていました。しかし、ギャングたちはそれを良く思わず仲間に誘っても入らないエフレンに殴る蹴るの暴行を加えていました。そんな絶望の日々の中で次第にギャング達に対し復讐の念が募ってきます。普通であれば暴力には暴力での復讐を考えるところですが、そこで16歳の彼の取った行動は幼い子供たちに教育をするという行動です。つまりギャングに復讐するためにこの国からギャングを作る悪循環を断つという事です。手押し車で週1回の教室を開くことから始め、今では100名を超えるスタッフや70台の手押し車、そしてフィリピン国内にとどまらずケニアやインドネシアの貧困地域での活動など、確実にその意志は広がってきています。
 そんな彼がインタビューの中で語った一言は、ハンマーで頭を打たれたような衝撃を受けました。それはスラムで過ごした彼だからこそのこんな名言です。
 「教育というのは誰にも盗まれることのない財産である」と・・・。

女性議員セクハラ問題

 先日都議会で女性議員に対するセクハラ発言が問題となっていました。彼女の酷い過去は過去としても発言の内容を見ますと確かに問題になる発言でしたので、当然な成り行きと言えるでしょう。この発言者は自身の発言に対し、政治家として、また一人の大人としてしっかりと責任を取るべきだと思います。しかし、こういった議会での失言問題や議会の様子を見て、私はいつも違和感を覚えずにはいられません。
 まず議会というのは、民の代表である議員の先生方が、その民の為に一生懸命に議論を交わし、より良い環境をつくっていくという非常に大事な「会議の場」です。その会議の場では、定例の議会の他に**委員会などの名目でその詳細な内容に対して活発な議論が交わされる筈なのですが、現実には例えば「予算委員会」と謳った委員会では、予算に全く関係のないある議員の個人的なスキャンダルに対して追求し、それがはっきりするまで予算に対しての議論を交わさないという事を平然としています。また、定例の議会でも、委員会でもそうですが、代表の議員が発言している際に、あちらこちらから発言者の意見を遮るくらいのヤジが飛んできます。これ、おかしくないですか?一般人の私の感覚からすれば、予算について議論しましょうという場で誰かが全く関係のない話題を出して来たら、まずは議題を議論してから後でそれは違う場で議論しましょうとなりますし、ましてや一般の会社で会議している際に、発言者の意見を遮るような意見でなく「ヤジを飛ばす」行為が許されるはずがありません。こんな普通に気づく筈の事を、彼らは幼少の頃から教育されてこなかったのでしょうか?
 そんな一般とは違う感覚の方々が運営している議会というのは、果たして一般の我々の生活を守るための議論ができるのか、甚だ疑問です・・・。

格差社会

 最近TVを見ていますと、盛んに「格差社会」というフレーズを聞きます。私はこの「格差社会」というフレーズに対しいつも違和感を覚えずにはおられません。以前のコラムにも書かせて頂きましたが、今の日本の社会は、私が見える範囲ではどう考えても「格差社会」というほどの格差があるようには見えないからです。
 私が今迄に見てきた東南アジアや東アジアの国々は、都市部においてはその都市開発や交通網などは素晴らしく整然と開発され、高層ビルやショッピングモール、高級ホテルが立ち並ぶ街には世界のブランドショップが溢れ、数千万もする超高級車が至る所で走っています。但しそれは平均所得水準が日本円にして年収100万円にも満たない国で、です。そんな国ですから、街中で足元を見れば埃で汚れた子供を抱いた母親が物乞いをし、一番の働き盛りの男が道路で昼間から博打したり、寝ていたりします。日本とは違い冬の寒さのない国では、路上生活していても凍死することがない為、普通に路上で生活しています。また都市部の川の近くにはスラム街があり、そのスラムで生まれ育った子供は決してそこから抜け出すことができず、そこでまた次の世代が生まれていきます。そんな今日の飯にもありつけるかどうかの生活を送っている人が大多数存在する中で、豪邸に超高級車を何台も並べ、高級ワインを飲んでいる人たちがいる世界こそ「格差社会」なのではないかと感じるのです。
 逆に都市部から外へ出てみると、昔からの村が存在するところが多く、ここでは決して裕福ではないが、質素な生活のなかで皆ニコニコと生活しています。故意や事件でない限り飢えで死ぬことが少なく、女性や子供でも夜道を歩くことができるこの日本のどこが「格差社会」なのか私には理解できません。守られた環境にいる人ほど人を妬み文句を言う、そんなところですかね・・・

消費税増税

 消費税が引き上げられてから約2か月が経過しました。5%から8%になり買い物の価格は一気に3%のアップですから、高額の買い物はかなりの差が出てきます。普段の買い物にしても、いちいち数円や数十円単位の価格が上がっていています。ただその感覚が、私だけなのかもしれませんが、負担が増したという感覚よりも消費税が5%になった平成9年から17年間見慣れた価格が変化したという、何とも気持ち悪い感覚です。実際に小物を1つや2つ買い物をしても、価格が上がったなあという感じよりも、用意するお金の計算が狂うという感覚です。しかし、スーパーなどで食料品などをまとめて買う時などは、大雑把に頭の中で「このくらいかな」と思っている金額と、レジの方から言い渡される合計額との差が大きいことを感じたとき、はじめて負担が増したなという感覚になります。これは税金が上がっただけでなく価格自体が上がっているものもあるからです。それは端数が円単位で徴収できるものは税額を上げるだけですが、十円単位や百円単位で徴収するしかないものに関しては、あるものは据え置いて、あるものはそれ以上に価格を転嫁するという事をしなければ、事業者だけが負担を強いられることになりますので、ある意味仕方のない事でしょう。また、今まであまりにも消費者が低価格を追求するが故に、原料や原価がアップしているにもかかわらず価格に転嫁できなかったものなども、この絶好の機会に異常になりすぎた低価格を正当な価格に近付けるためにも仕方のない事だと思います。
 そんな国民や事業者に負担を強いる増税というものは、日本の国を思えばこその負担であり、決して税金の無駄使いを許しているわけではありません。そのあたりを本当にわかっているのかと、お偉い方々に申し上げたいものです・・・。

自己表現の仕方

昔から私は、悪く言えばバカだったというか単純だったというか、良く言えば無垢だったというか、今思えば何で?と思うようなことが沢山あります。その一つに小学校の頃の話ですが、私は気に入った格好というのはずっと貫き通す癖があり(違う服がなかったとも言いますが)真夏であろうが真冬であろうがずっと同じ服を着ていたのですが、その服装は真夏に合わせた短パンに半袖という格好です。その時はそれで真冬を過ごしてもそんなに寒さを感じることがなく、よく通りがかりの方に、「あんたそんな恰好でよく寒くないわねェ」と言われたものですが、当の本人は「これが恰好ええんや」と自己満足に浸っていました。また、私自身が心底からそんなに気に入っていない物や事柄でも、何か人と違うものを自分のトレードマークにしたかったんでしょう、一度「これ」と決めたものはすべての「もの」に採用していました。例えばヒーローものなどは、一番人気のあるヒーローものには興味を示さず、それより人気のないヒーローものの中でも主役級に興味を示さず、その脇役を「これがええねん」と別にそんなに好きでもないのに言っていたこともありました。色で例えると赤は主役級ですが、青色の準主役とかです。中学校の時にはオーディオが好きだと決めれば、新聞配達をして稼ぐはずの給与を充てに、40万円以上のローンを組んでオーディオセットを組んだり、高校のときには「ピンクが好きだ」と別に好きでもなんでもないのに一旦決めたら、スウェットであろうが筆箱であろうが何でもかんでもピンクを揃えたりして自己表現していました。
 そんな極端なやせ我慢に近い行動は今でこそなくなりはしましたが、しかし今思い返せば顔写真入りの看板やバス、チラシをしていることを思えば、今ももしかしたら全然変わりないのかも、と思う今日この頃です・・・。

GWの旅行代金

 さて、世間は今日からGWに突入しました。しかし今年は前半の休みのつながりが悪く、恐らく多くの方々は後半の連休に旅行に行ったりレジャーを楽しんだりされるように思うのですが、皆さんはどう過ごされるのでしょうか?私共のGWというの、交代で休みを取るものですから期間中は定休日なしでずっと営業をしています。宜しければひやかしにいらしてみてください。
 そんなGWに旅行や行楽に出かけられる方を見ていつも思う事なのですが、私が不動産業に関わってからというもの、正月を除いて皆さんが休まれる日に重要な仕事をするものですから、普段の休みは平日に取り、まとめて休日を取る時は閑散期に取ったりします。ですからどこに出かけても「人で人で一杯」という経験はあまりなく、結構どこに行っても快適に楽しめたりします。ある時など不意に思いついて、TDLの夕方からの安いパスを購入して入場したのですが、どのアトラクションも待ち時間なしで乗り放題だったのですが、ある程度でもう乗りたくなくなったこともあったくらいです。また、旅行などに行く時もわざと閑散期に取るものですから、ハイシーズンの3分の1以下の代金で楽しめたりします。当たり前に多くの方がその日しか休みが取れないことは十分承知してはいますが、その多くの方が1度にレジャーにかける費用を見ますと私的には「おっ金持ち~」と思わずにはいられません。その為私などは、多くの方が大型連休などや年末年始などに年1回や2回ほど旅行に行かれるところを、同じ費用でその2~3倍楽しめる計算になりますので、本当に得した気分になります。
 しかし、当たり前に得な事ばかりではありません。同業者以外の友人や知人等との旅行、イベントやコンサート、子供の行事へ参加は、周りに迷惑が掛かりますので結構な調整が必要になってしまいます・・・。

教育とは?

 以前にも書かせて頂いたことがあるのですが、以前の自分の行動と今の自分の行動に大きな隔たりがある部分があります。例えば学生時代の私は、夏休み前にみんなが思ってもなかなかできない「夏休みの宿題を最初に終わらせてあとは遊ぶだけ」という誓いは毎年のように打ち砕かれ、新学期が始まってようやく観察日記などを捏造したり、人の宿題を丸写ししていました。それが何がどうなったのか分かりませんが、今では「やらなければいけない事」や「やっておいたほうが良い事」はすぐに取り掛かり、複数の案件があっても優先順位を付けて集中してこなしていくため、結果的に他の人よりも時間にかなりの余裕が生じてしまいます。また読書なども昔は「秀才さんのやること」と思っていましたので一切興味を示したことはなかったですが、今では会社の誰よりも本を読み、良かった本は人に勧めるようになりました。
 なぜこうなったのかと考えますと、前者はまず一つに心配事が嫌いな「小心者」という私の性格が挙げられます。私は何せ後々面倒になるのが非常に嫌な性格なので、嫌なことは今すぐ片付けたほうが、残すよりも気持ちや体が楽であると悟ったからです。また後者は、人よりも優位に立ちたいという「見栄」が強いという事でしょうか、今までにない知識を得る事による「知る喜び」というのを人よりも感じやすいのだと思います。もしこういった事を学生時代に感じることができていたならば、私は今頃大学教授か、医師、または国家官僚になっていたかもという物凄い妄想をしたりしますが、冗談は抜きにして、今の私よりは良い学歴や経歴がついた可能性が高いでしょう。
 そう考えますと、教育というのは知識や方法を教えるよりも、それをすることによってどんなメリットが自分にあるのかという事を教えることで、自ら進んでやるかどうかが決まるのではないでしょうか・・・。

カウンタック

 今の私は基本的にはマンガを読むことはありません。と言いますか、昔のように読みたいと思う事もあまりなくなりましたし、それに加えあえて正直に申し上げますと「ええオッサン」がマンガを読むということに抵抗を感じていまして、世間体と言いますか、カッコつけたいといいますか、心の声とは別のところでマンガを読まない自分を作っていたりします。しかし、例外というのがありまして数年前に会社の人はもとより、TV番組でキムタクをはじめとする芸能人が絶賛していた「ワンピース」につきましては、それまでに出版された全巻を大人買いまでして読み、感動した記憶があります。
 そんな基本的には読まないマンガですが、最近また気になるマンガが私の前に現れまして、実は今葛藤しているところです。それは「カウンタック」というマンガです。カウンタックと言えば私と同年代の男性には知らない人がいないというくらい、私たちが幼少期の頃に大ブレイクしたスーパーカーブームの主役級の車です。その車は私が大人になってからも憧れの車でして、もしカウンタックを買うのに住宅くらいの長期ローンが組めるなら真剣に購入したいと真剣にずっと思っていた車です。最近では正直言ってもっと安価でもっと性能のいい車も販売されていますので、いつの間にか興味は薄れていました。しかし先日、マッサージの時間待ちでたまたま本棚に置いてあったそのマンガを読むと、主人公が私と同じように幼いころにカウンタックに憧れ、その思いを将来の自分に宛てた手紙に綴っていました。それを見て今の自堕落な自分に喝を入れ、一念発起してカウンタックを手に入れるという物語でした。
 帰ってネットで調べますと、そのマンガは全28巻あり、私は1巻の途中迄しか読んでいませんので、今猛烈に全巻読みたい衝動に駆られている今日この頃です・・・。