就職差別

 先日の新聞記事に今の就活している学生の感じていることに、就職差別がかなりあるようなことが掲載されていました。ほんの一例ではある企業では学校別の「枠」などが決まっていて、いくら優秀な学生であってもその枠を超えた採用はしないとか、今の自分の学校では面接すら受け付けてくれない等のチャンスの機会さえ与えられない差別が多い事が問題視されていました。確かに受け付けてもらえない学生からすれば、少しのチャンスも与えてもらえないというのは、相手にすらしてもらっていないので不満がたまるのは当然です。かたや企業側からしても、受け付けない学生の中に埋もれているかも知れないその企業に有益な人材の発掘もできていないわけですので、勿体ないと言えばそうかもしれません。
 この事を俯瞰的に見ると、学生側はチャンスさえもらえれば納得できることですし、企業側は埋もれている人材を発掘できる可能性があるわけですから、企業側に責があるように思えます。しかし企業というのは現在はもとより、将来的に継続して活動をしていくことを目的としています。その為に採用に限らず業務についても今までのデータや確率などを参考に動くのがセオリーです。そう考えますと就活している学生側は、その企業の考え方を理解したうえで自らの立場を確立する必要があります。それは極端な言い方をすれば、いくら理不尽な考え方であろうが、自分がその企業に就職したいと考えるならば、それに合わせなければならない事は必須です。
 企業側が望む学生像に親から強制されたのか、自らが進んでなのかは関係なく、幼少の頃から努力してなし得た学生もいます。しかしその努力をした学生ほど頑張っていない、また頑張ってもなれなかった学生も含めて、同じ土俵に乗せろというのは余りにも自分本位な言い分に聞こえるのは私だけでしょうか?・・・。