伊達直人

 昨年12月のクリスマスイブに「タイガーマスク」の主人公である「伊達直人」から児童養護施設にランドセルが贈られた報道を見て、「粋な事やる人やなあ。自分もやってみようかなぁ」と沢山の方が感じたことと思います。そしてそれが全国の国民の心に響いた結果、各地で心温まる匿名の贈り物が続いています。自己中心的な行為や犯罪が目立ってきているこの世の中で、久々に心温まる活動を垣間見て、何だかこの世の中も捨てたモンじゃないよなと、ひとり晩酌などをして余韻に浸ったりしていました。
 そんな感動の報道を見て心動かされた方が、いい意味で我も我もと実行に移されたのですが、もし万一、感動して私もやろうかなと思った方全員が贈り物をしていたら、今の数では収まらなかったと思います。決してその数が少ないわけではないのですが、感動をしていた人の5割でも実行していたらと考えれば、私を含めて「感動はしたが実行には移さない」行動力のなさがこの贈り物の数の結果です。そう考えますと折角の感動話が、何となく情けないような気になってしまいます。それはいつも思う事ではありますが、何か良い事やヒットしたものを見た時、「あ、それ自分も考えてた!」と良く言うことがありますが、思っていても「やる」のと「やらない」のでは180度違うわけですから、考えたのなら「やる」ことにしなければ何も意味が無いことに気づきます。
 しかし良く考えますと、前述の「タイガーマスク現象」のようなことが当たり前に行われる世の中になったとすれば、こんなニュースにも取上げる事も無いでしょうし、ましてや当たり前のことを当たり前にしている行為に感動すら覚える事も無いと思えば、もしそんな世の中になったらどんなすごいことをすれば人々を感動させられる事が出来るのでしょうか・・・。