幼児置き去り事件

 東京都足立区の民家で、生存していれば111歳の男性のミイラ化した遺体が発見された後、厚労省が各自治体に高齢者の所在確認の指示を出してからというもの、連日白骨化した遺体が発見されたニュースが飛び込んできます。ごく普通の生活を送っていると思っている私には、ちゃんとした死後のお見送りをしないどころかその放置行為自体が、信仰がどうであろうと、年金の受給がどうなろうと、おおよそ人間の感覚からはかけ離れた神経としか思えません。
 よく考えてみてください。人体が腐敗して白骨化するということは、冷蔵庫で魚や肉が腐敗臭を放つのとは訳が違い、いくら痩せ細っていたとしても、30キログラム以上の肉や骨や内臓の塊が腐敗臭を放つわけですから、想像を絶するほどの悪臭が放たれるはずです。その「腐敗体」と化した身内と共に一つ屋根の下で暮らすことは、どれだけその亡くなった人を愛していたとしてもまず私には無理です。
 百歩譲って、前述の方々は寿命や病気また、ご自身の意思でお亡くなりになられた後のお見送りを身内が行わないという、いわば「消極的」な行為と考えれば「極悪非道」な行為とは言えませんが、同じ消極的な行為でも大阪市の西区で発生した幼児置き去り殺人に関しては、幼児に食事も与えず部屋から出ないように扉に目張りして1か月も放置するという、それこそ人間として「極悪非道」な行為は記事を読むたびに、その女に対する怒りと幼児がどれだけ辛かったかを思う悲痛な悲しみに襲われます。例えは悪いですが、犬以上に自らの生命維持に関して保護者である母親にしか頼ることのできない幼児に何もせず放置する行為というのは、個人的には殺人以上の罪の重さを感じられずにはいられません。
 しかし身勝手を通り越したこんな事件が続く現代には、その予備軍が相当数いるような気がしてなりません・・・。