パイレーツ桑田真澄投手

 最近の日本のプロフェッショナルと呼ばれる方々の中には、それぞれの分野で世界レベルでの活躍が目立ってきています。そんな中の一人に、39歳でメジャーデビューを果たしたパイレーツの桑田真澄投手もいます。
 桑田投手といえば私は個人的に非常に思い出のある方で、とはいっても知人であるとか、親戚であるとかではないのですが、何故私の思い出が深いかと言いますと、実は同じ年齢で学生時代に同じ野球をやっていたことに関係します。
 私は名張桔梗丘高校で一応野球部に所属し、一応キャプテンなどをやってはいましたが、もうかなり過去のことですから申し上げますが、「甲子園」などは夢のまた夢で行けるなどと鼻くそほども思ってはいませんでしたし、そこまで努力もしていなかったと思います。そうは言いましても当時から夏の甲子園を見るのが非常につらく基本的には今でも見ないようにしているのですが(球児の涙を見たくないので)、最後の夏の大会で敗退した私は、やることがなく何気なくつけたTVで桑田投手が投げている試合を1試合だけ見てしまいました。その試合の中での一場面しか覚えていませんが、その一場面が今でも私の心の中に残っています。
 それは、PL学園の守備でピッチャーは桑田投手、ノーアウト、一,二塁で点差はほとんどない状態で、当然相手は走者をすすめるために送りバントをしてきました。そこでバントした打球がピッチャー前にフライとなったので桑田投手はすかさずダイビングキャッチしながら向きを替え二塁へ送球、一塁へも送球し、トリプルプレーとなりました。その時高校生ながらに本当に心から感じたことが、「ほんまに運って実力のある人につくもんなんや」ということでした。それから20年経った今、私にはどれだけの実力がつけられたのでしょうか・・・。