日の丸・君が代問題

 少し前の話ですが、東京都と都立高校教職員との争いで、「日の丸、君が代」問題の東京地裁の判決が言い渡されました。この問題は、歴史的背景や現代社会の実情、思想や自由の観点など実に奥深い問題で、一概にどちらが間違っているとか、合っているかという事を判断するのは非常に難しい事であると思われます。仮に東京都の立場から言えば、「国歌や日の丸に敬意を表し、起立することは教育者として当然」という意見でしょうが、教職員からすれば、「それは時代錯誤や自由意志の観点からもおかしいし、またそれにも増して通達に反した者が処分されるというのは行き過ぎ」という事で、意見や主張が確かに双方納得できます。
 しかし私は、その判決を言い渡されたニュースを見た時に、何か凄く違和感を覚えました。そのことを全部理解していない私が表面だけ見た上で「批判や誤解」を恐れずに正直に申しますと、以下のようなものです。
1.入学式や卒業式に君が代を歌う時に起立して歌う事が、なぜここまで問題になるのか?
また、99年8月に国旗国歌法が成立し、それまで君が代は公式に国歌でなかったものが国歌になり、日の丸が国旗と定められたという事は、法律で定められたものになっているにもかかわらず、また、ワールドカップやオリンピック、ボクシングなど、世界大会では当たり前のように君が代を斉唱し、国旗を掲揚するのに、なぜそこまで頑なに拒否するのか。それであれば、先述のオリンピックなどにもそういったことをさせないように何故世間に対し訴えないのか。
2.東京都はこの問題で、なぜ処分するまでに至ったのか?
私を含め恐らく多数の国民が、それほどこの問題をそんなに大きな問題と思っていないと思いますので、従わなくて処分されたらやりすぎのように思えます。勿論旧文部省と日教組が95年に事実上和解するまでの間やその後の話し合いの中でも、色々と確執があったとは思いますが、それでもやりすぎのように思えます。
 しかしこの問題を、私を含めて過去の経緯を詳しく知らない都立高校の生徒達が、表面上だけで判断しますとこうなるのではないでしょうか。私の先生は、決まりであっても自分達が納得しなければ守らなかった。守らなかったので処分された。処分されたので訴えたら認められた。と言う事は、自分たちも納得できない校則を守らなくても良くて、万一それで停学になったとしても、納得がいかなければそれをPTAや教育委員会に訴えたら処分を取り消してくれるだろうと・・・。