紅葉

 秋も深まり山の木々は勿論の事、街路樹なども紅葉の季節となり私たちの目を楽しませてくれる季節となりました。日本という国は、四季がある為に季節によってそれぞれの楽しみがあり、とてもすばらしい国に生まれ育ったことに感謝します。
 そんな日本では桜や落葉にかかわる意見などが、近年に発達してきたインターネットの掲示板や地元紙などのご意見板に掲載されています。その内容は「毎年この季節になると街路樹に色がつき始め、秋の訪れを感じさせてもらっていますが、この前の市の心無い伐採によりほとんどの枝が切り取られ、その楽しみを奪われました」などや「毎年子供も楽しみにしていた桜の季節が訪れましたが、今年は枝がほとんど伐採されていて楽しむことが出来ませんでした。こんなひどいことをしないでいただきたいものです」などです。確かに毎年の楽しみである桜や紅葉は、それこそCMではないですが「お金では買えない価値がある。」ものですから、誰しもがそれこそ維持できるものなら維持してほしいと思うはずです。ならば何故伐採されるのでしょうか?それは管理の問題です。
 「見る・楽しむ」だけの方はその季節になるととても見ていて楽しい思いをされることでしょうが、管理をする立場の方や、街路樹の前に住んでおられる方、商売されている方などはその季節になると、余儀なく大変な苦労をされます。桜の季節には散った桜の花びらの清掃や毛虫の対策や花見の後のごみの処理、落葉の季節には毎日大きなゴミ袋いっぱいの落ち葉の清掃など、その季節だけと言えばそうですが、その作業量はかなりのものです。
今の世の中、「楽しむ」為にはそれに対する「代償」がつきものですが、例えば遊園地に行くには「時間とお金」が必要です。海に行くにも山へ行くにも食事に行くにも何をするにも代償は必要です。ですから誤解を恐れず書かせて頂くと、「伐採されて遺憾」と主張するなら、されないための「代償」をどれだけ払ってるのかを今一度考えてほしいと思います。花見をすればごみが出ます。そのごみなどを花見をする前以上にきれいにして帰る方はどれだけいるでしょうか?紅葉の並木を楽しむ為に、毎日清掃をする人がどれだけいるでしょうか?それらを全て行政や人任せで「楽しめなくなった」というのはあまりにも無責任ではないでしょうか。
 他の人はやっていないので私だけするのは割に合わないとか、そんな義務はないと皆が考えている限り、楽しめるものがもっと減っていくことは仕方がないことでしょう。そんな日本にならないように願います・・・。