熱帯魚

 最近、事務所のレイアウトを換えたついでに、インテリア的にもにいいのではないかと思い、年末から事務所で熱帯魚を飼い始めました。何も分からずに飼い始めたものですから、失敗していることにも気づかずに2~3匹天国に召された子達もいましたが、今は比較的安定して皆さん暮らして頂いております。飼い始める前、既に飼っている人が「何時間でも水槽の前でぼんやりと眺めていられるんやで」と言っていたのを聞いたとき、じっとしていられない性格の私には、そんなことは到底出来ないと思っていました。ところが、いざ飼い始めてみますと、こんな私でも何時間はオーバーな表現としても、何分も眺めてしまうのです。
 小さな子を大きな子が訳もなく追い掛け回すところや、ちょっと骨の曲がった奇形の子が一生懸命に泳ぎながら餌を食べているところ、同じ種類同士の子達が群れをなして同じ場所で遊泳しているところ、それぞれ自分勝手に動き回るタニシが、小さな口のようなものをパクパクしながらガラス面に張り付いた藻を食べながら動き回ることころなどを見ていると気が付くといつの間にか時間が経っています。こうい事を世間で言う「癒されている」というのかなと思いながら一日何度見ても飽きません。
 また、餌を与えようとそのケースを持った途端、一斉に全員の動きが活発になり、餌が落ちてくる場所に集合してきます。こんな小さな熱帯魚でも、これだけこちらの行動に反応するところを見てしまうと、とても可愛らしいなと愛着が湧いてきてしまいす。
 前にもこのコラムで書かせていただいたように、私の家では「うめ吉」と「まつ吉」という二匹の犬が暮らしております。昼は私たちが仕事をしている為ケージの中で過ごし、夜帰宅してからは一緒に寛ぐという毎日を過ごしております。そんな中、たまに思うのですが、もし、これで誰も帰ってこなくて食事も与えられず、ケージからも出してもらえなければ、それこそ一週間も経たないうちにその生命は終わります。それは水槽の彼らも同様で、それだけ飼っている私たちの責任は大きいのです。しかし、そんな彼らは私たちに何をしてくれるのでしょうか?経済的に助けてくれるのかといえばそうではないし、家事を手伝ってくれるのかといえばそうでもありません。
では何故こんなに大切で、こんなに愛着があるのでしょうか。それは恐らく彼らが私たちに「全面的に信頼し、全面的に生命を預けている」からでしょう・・・。