ごく最近までセワシナイ日々を送っていた私は、毎年欠かさず行っていた年中行儀の一つの「花見」というイベントを、とうとう一度も行わずにその季節を見送ってしまいましたが、皆様は楽しまれましたでしょうか? 
 「多忙」というと、日本人の感覚からすれば聞こえはいいものですが、例えば家族との時間や、趣味の時間などのプライベートの時間を全く持てないほどの「多忙」は、一時的な期間であれば救われますが、継続的かつ日常的な「多忙」はやはり避けたいものと誰もが思うはずです。しかし私を含め多くの方々は、現実的にこの不況下でそんな悠長なことも言ってられず、日々の生活をしていくために、必死でがんばっている方も多いことと思います。そんな生活をしている中で、ふと感じたことがありました。
 私達夫婦は、13年前からトイプードルの「うめ吉」と、更にその3年後のクリスマスにマルチーズの「まつ吉」と一緒に暮らし始めました。暮らし始めてはじめて感じましたが、それこそまさに「家族」の存在で、犬と一緒に暮らしている人なら分かっていただけると思いますが、一緒の布団で毎日寝るのが当たり前の状態です。そんな中、毎日多忙に過ごす日々は、肉体的にも、精神的にも疲れ果てていますが、どれだけ遅い深夜に帰宅した時でも、何物にも代えがたい喜びの表現で迎えてくれる「家族」はその日の疲れが全部吹き飛ぶくらいに心が癒されます。この「家族」は何故こんなに無条件に愛情を表現できるのか、何故こんなに無条件に喜びを表現できるのか不思議です。なぜなら自分からはこれだけの表現は誰に対しても出来ないだろうと思うからです。しかし逆にこれだけ表現されれば、自分としても無条件に愛情を表現したいと感じるものです。これは、人付き合いしていく中で非常に参考になる行動ではないかと思えます。ただ、この「家族」のように徹底して行うことが出来るならまだしも、人間にはここまで徹底して行うことは出来ませんし、徹底しないと逆に相手の人に思いあがられる事になるので注意は必要だと思います。
 しかし、そんな愛情を注ぎながら、いや逆に注いでもらっていても現実的にはどう考えても「犬」です。人間に病気や事故がない限り、「犬」の寿命が短いのが当たり前です。もしものことがあったら、と考えたくはないのですが、その日は来てしまうことでしょう・・・・。