ボランティア

 これを読んで頂いている頃は、もうあまり報道がされていないかもしれませんが、書かせていただいている今時点では、北朝鮮の拉致被害者の報道がよくされています。それら本人達の記者会見やドキュメントを見る度に様々なことを考えさせられます。拉致被害者の方々は一年前に帰国はしましたが、その方々の家族は北朝鮮に残ったままです。さらに、その他にも北朝鮮に拉致されたと思わしき方々の安否などもわからないままです。そんな放送を見て私は、「何かこの人たちの役に立てるは無いのか。何か小さいことでもいいから、動くことはできないのか。」といつも思います。それは阪神大震災や、イラク復興支援、アフリカ難民の支援や、地域のお年寄りへの奉仕活動等のドキュメントを見た時も同様にそう思います。そしてその日は興奮のまま就寝します。しかし、翌朝になり朝の身支度を終え、仕事を始める頃にはその決意もどこかに行ってしまい、いつもと同じ何気ない日々の生活に戻ってしまいます。 何故なんでしょうか?当たり前のことではありますが、それは自分自身の意思の弱さの現われです。しかし逆に固い意志を持って具体的に且つ、継続的に活動ができる人々との違いは何なのでしょうか? その人のおかれている環境でしょうか?それとも使命感なのでしょうか?いずれにしても、今まで自分はそういう繰り返しで、何もできていないので、具体的に活動を行っている人々には本当に心から敬意を表します。でももし、そういう考えを持った次の日に、身近に活動をしている人がいればどうなるでしょう?もしかすると、その活動に参加するかもしれませんし、やっているうちに先頭に立っているかもしれません。そのことをよく考えてみますと、結論が少しですが、見えてきそうです。
 まず第一に「きっかけ」があり、第二に「ゆとり」が必要で、第三には「環境」が整っていることではないでしょうか。「きっかけ」は本人が活動しようという風に捕らえることがなければ「きっかけ」にはなりませんし、「ゆとり」に関しては心のゆとりは勿論の事、金銭的なゆとりもなければ成り立たないと思います。更に「環境」は、いくら前述の二つが整っていても、発揮する機会や対象がなければ活動することができません。
 でも、その三つの条件というのは、本当は自分自身で整えていかなければならないものであると、薄々心の中で分かっていながら、長い長い言い訳をしている情けない自分がいるのです・・・・・。