県民の責任

 今年の夏もいよいよ本番を迎え、皆様はいかがお過ごしでしょうか?海に山に海外にと予定を立てておられる方も多いかと思います。街では、盆踊りや夏祭り等もいたるところで開催され、楽しげな風景が垣間見られます。それらは私たちの子供の頃、いやもっと昔からの文化・伝統・習慣をその時代の中心となる人たちが、その時代に合った変化や独自の工夫を凝らして、いい状態で現在まで受け継いできた証拠です。そんな文化・伝統・習慣は、私たちの世代が次の世代にしっかりと引継いでいきたいものです。
 そんな中、政治の世界の文化・伝統・習慣は私のような一般人から見ると、どうも理解しがたい文化・伝統・習慣が引き継がれているように思います。少し前のニュースで例を挙げるとすれば、鈴木宗男議員の逮捕前、逮捕後の言動や長野県知事の不信任決議が私にはそう映りました。
長野県知事の不信任決議を県世論調査協会が行ったアンケートで、不信任反対と答えたのはご存知のようになんと61%もありました。これは議会と民意がまったくかみ合っていない証明です。どうして議会は民意を反映できないのでしょうか?私はその出来事を「外野」から眺めているものとしてこう感じました。
「支持する知事」を選んだのは県民です。
「民意の反対の決議をした議員」を選んだのも県民です。
 もし、県民の方が「議会」が誤った判断をしたと思うのならば、それはその議会を構成する「議員」を選んだ県民の判断が誤ったからなのです。要するに良い判断も、悪い判断も全て県民の責任なのです。この激動の時代にはますますこういった「責任」を自覚して、政治や経済の事を真剣に考えていく必要があると思います。「先は分からない」とか「どうでもいい」はもう許されない時代になってきていることは明白です。
名張市も亀井市長になり「改革断行・市政一新」を唱えています。8月には市議会選もありますので、もう私たちも「外野」から見ていられなくなりました。 そんなことがあって、今後は私も「長野県民」と同じ思いをしないようにしなければいけない・・・と決意したニュースでした。