悪が得

①「あのような人が、こんなことするとは」
②「あんな人が、こんなことをしたんだ」
 前者は、普段から行いが良い人が失敗したり、悪いことをしたりすると言われる言葉です。後者は、普段あまり何もしない人や悪事を行っている人が、良い事や、世の為、人のためになることをした場合に言われる言葉です。
 私は、この言葉を聞くたびに思い出すことがあります。それは学生時代に思い続けた「悪いやつが徳をする」という思いです。
普段から「見本となる」生徒や、それを演じている生徒が、何か一つ失敗したり、気が緩んだ行動をしたら①のように言われ、普段から「不良」と呼ばれる生徒が、いつも自分のしたいように行動をとっているにもかかわらず、何か一つ目立つ事で良いことをしたら②のように言ってもらえます。
 確かに、「不良」によい行いをさせたり、考え方を変えさせる為には、褒めることはすごく大事なことだと思います。しかし立場を変えれば、やりたいことを我慢して、その「不良」が褒めてもらっていることを普段から普通に行っている「見本となる」生徒は不満一杯で納得できないでしょう。
そう考えると「自分も好き勝手して、ちょっといい事をするだけで褒めてもらえるならそうしよう」と思う「見本となる」生徒も出てくるような気がしました。でもあまりそんなことを人から聞いたことはなかったので、学生時代にそんな事を考えているのは自分だけだったかもしれません。
 しかし社会ではどうでしょう。そういうことがあっても当たり前、という考えがあってか、政管民の癒着、企業の不正等今までにも国民が薄々感じてはいましたが、表面に出ず堂々と不正が行われてきました。最近になってようやくその一部が表面化され、「悪事は悪事」として報道されるようになってきました。でもそれが報道されるようになり、本当に一生懸命に努力し「見本となる」ようにしている企業や政治家が迷惑を被っていることも知っておかなければなりません。(石井議員が自宅前で刺殺された際、「正義の政治家を亡くしました」と言われました。しかしなぜ議員に「正義」とわざわざつけなければいけないのでしょうか。当たり前に「正義」であっていてほしいのですが。)
 汚れた水を浄化する浄水器のごとく、悪事などをを浄化する装置の開発がされることを願います・・・・。
このコラムでは、これからも私の身近に起こった出来事や感想、皆様からの御意見・御希望等を定期的に掲載し、伊賀地区にお住まいの皆様と私共とのささやかなコミュニケーションを育ませていただければと思っております。何か思い立つことがございましたら、是非 E メールやフリーダイヤルでお寄せください。心よりお待ちしております。