水戸黄門

 「静まれ 静まれ!この紋所が目に入らぬか。この方をどなたと心得る。恐れ多くも先の副将軍 水戸光圀候であらせられるぞ。ええい頭が高い。ひかえおろう!」
 水戸黄門の名台詞です。幼少の頃、親が毎週毎週、同じ展開のドラマを楽しみに見ているのを「何で飽きないのか」と思いながら眺めていました。
しかし最近、たまたま付けたTVで再放送の水戸黄門が流れていて、見るでなく、なんとなく目に入っていたのですが、そのうちにだんだんと夢中になり、先の「静まれ…」の場面を期待し始めました。そして悪代官が、驚きと落胆の表情で黄門様のお裁きを聞いている場面でなぜか「気持ちの安らぎと爽快感」を感じ、そこで始めて親が興味を持って毎週見ていたことが少し理解できました。
 でも、よく考えてみれば、水戸黄門に限らずブラウン管の向こうの世界は、「完全悪」と「完全正義」が存在してこそ成立するものです。そして正義が悪を滅ぼすことで先ほどのような「安らぎ」や「爽快感」が得られるのです。しかし現実の世界はというと、そんな「完全悪」が存在すること自体非常に稀です。先ほどの「完全悪」と定義されそうな人達にも、家族や愛する人達が存在するはずです。そしてその家族や愛されている人から「成敗」した人を見ると、「なんてひどい人」となります。
 もし、ドラマの中で「完全悪」の人達の家族愛を表現する場面が延々流れて、その後に「成敗」されたら、見ている人はどんな気持ちになるでしょう。もし、仮面ライダーの「ショッカー」のようなすぐに殺されて当たり前の脇役の人達の生活を映し出した後に、いとも簡単に殺されてしまったらどんなドラマになるんでしょうか。多分、ドラマとして成立しないと思います。
 私たちが普段何気なく見ているメディアは、そういった「完全悪」と「完全正義」に分けたがるように私には見えます。それは今起こった事件の原因、背景を探らずに「悪事」としてだけ報道し、そのことを「悪事」としてだけ報道する。視聴率や販売率のために「完全悪を成敗」する場面を作りたがる。原因をもっと探り、報道を受け取る側にその事件を「考えさせる」ことをせず、考え方を押し付けるような報道をする。
 でもそれはすべて水戸黄門的な「完全悪を成敗する」ことに興味を持つ私たち視聴者や読者が存在するからメディアがそれに乗って報道する、・・・・・いうことを忘れてはならないでしょう。 このコラムでは、これからも私の身近に起こった出来事や感想、皆様からの御意見・御希望等を定期的に掲載し、伊賀地区にお住まいの皆様と私共とのささやかなコミュニケーションを育ませていただければと思っております。何か思い立つことがございましたら、是非Eメールやフリーダイヤルでお寄せください。心よりお待ちしております。